わたしのマイナンバーは「9」です

ブログ「いのちの絵 絵のいのち」にくわえて、もうひとつブログをはじめます。「ブログ−2」とよぶことにしました。ずっと考え続けていること、ときにふれてかんがえること、いろいろなまなび、を中心に、自由に書いていきます。以前からのブログ「いのちの絵 絵のいのち」は「ブログ−1」とよんで、絵と日ごろのくらしのことを中心に書いていきます。では、はじめます。

 

国民番号制でわたしたちに番号がつきましたが、それは国がかってにつけた番号ですので、かってにつかってください。やがて、廃止され、忘れ去られることをねがっています。それよりも、もしわたしに番号をつける必要があるのなら、それは、「9」です。日本国憲法第9条の「9」です。それは、平和の数字です。それに、ちなみに、わたしの数秘も「9」ですので、ぴったしです。

 

国民番号制でわたしたちにふりあてられた番号がやがて消えるように、いまのわたしのマイナンバー「9」も、やがては消えるのです。そしてそのかわりに、わたしのマイナンバーは「1」になるでしょう。それは、あたらしい日本国憲法第1条の「1」です。あたらしい日本国憲法は、文字通り平和憲法で、その一番最初に、平和の条文が書かれているのです。そこには、もう天皇制はありません。

 

おもうに、天皇制は日本のひとびとにそぐわない制度です。日本のひとびとは、いろんな民族のひとたちからなっています。そのなかでも、歴史がふるく、おおむかしから日本にすんでいるひとびとの子孫は、非常に単純化していえば、縄文時代のひとびとと、弥生時代のひとびととの混血、混合で、それが日本のひとびとの基層をなしています。それはすでに紀元前はるかむかしになりたったとおもいます。さらにこの混血と混合は、わたしは基本的には平和的に進行したとおもっています。そして、この基層をなすひとびとの基本的性格は、あたらしいひとびとやことなったひとびとをうけいれて、平和に生きるということだとかんがえています。なぜなら、それが、地球各地の太古の先住のひとびとの基本的性格でもあるからです。日本列島で戦いがおこり、さまざまな国ができてきたのは、この日本のひとびとの基層が成立したあとだとおもいます。現代の考古学や分子生物学による遺伝子解析から、そのようなかんがえが妥当であるとかんがえます。

 

天皇制は、せいぜい紀元後数世紀にはじまったものです。それは、天が地を支配するという考えに基づいてひとびとを支配する政治体制です。根本的に、差別的で、もともとの日本にすんでいたひとびとの、水平的平等な生き方にはそぐわない制度です。それゆえ、その子孫である日本のおおくのひとびとにはそぐわないのです。だからこそ、むかし、天皇制はものすごい暴力と権力で、その実現がなされたのです。そして、いままた、それを実現するには、ものすごく暴力的な方法でなされるのです。

 

ひじょうに誤解されているとおもうことは、日本のひとびとの大多数は、天皇制によって支配されたひとびとの子孫なのに、天皇制の根本である天とつながったひとびとの子孫であるように感じているのではないかな、ということです。

 

わたしたちのひじょうに多くは、アイヌのひとたちや、沖縄のひとたちとおなじく、日本列島の各地にすむ平和のひとたちの子孫です。そして、その子孫であるなら、あたらしいひとびととも、ともに平和に暮らすことが、現在でも、生きる基本だとおもいます。

 

わたしのマイナンバーは「9」です、ということは、とてもふかい意味があるとおもいます。