日本という国はもうすでに壊れているとおもう

ソ連が崩壊したのは、チェルノブイリ原発事故の5年後でした。当時のゴルバチョフ書記長が後ほど、ソ連崩壊の原因はチェルノブイリ原発事故だったと語っています。同じように日本という国家体制も福島原発事故のあと崩壊するだろうと、東海アマさんははやくからいっていました。そして、ちかごろの日本の様子を見聞きしているあいだ、はっ、と、気がつきました。日本という国家体制は、チェルノブイリ原発事故のあとのソ連とおなじように、福島原発事故によって、もうすでに崩壊したのだと。

 もちろん、わたしたちの日々のくらしはづっと続くし、いままでのいろんな制度はうけつがれていくけれど、いままでの日本という国家をささえてきた体制はもう壊れてしまったのだとおもう。さらに、はっ、と気づいたことは、いままでの日本という国家って、いつからの日本国のことだろう?ということ。太平洋戦争後の日本国?けれども、日本国憲法をもついまの日本国は、実際は、アメリカによって占領された、天皇制を延命させた明治以来の大日本帝國の仮の姿だということは、ますますみんなの目にみえてきている。だから、福島原発事故で壊れた日本国とは、明治以来の大日本帝國なのだとおもう。

 そうか、だから、大日本帝國をささえてきたひとたちが、福島原発事故がその国家体制維持に致命的だとあわてて、ものすごい勢いでなんとかしようとあがきだして出現してきたのが安倍政権なのだ。だから、安倍政権のやることなすことすべて、もうすでに壊れてしまった体制をなんとか組み立て直そうという努力だとおもう。そんな努力だから、その生地がむきだしになってしまう。

 なぜチェルノブイリや福島の原発事故がそれぞれの国家体制の崩壊を導いたのかは、原子力がそれぞれの国家をささえる根本だからだ。原発は核兵器とおなじであり、原子力というのは、国家権力の力そのものだからだ。その力そのものが壊れた時にどのようになるかはあきらかだ。さらに大変なことは、原発が壊れたら、それでおわりではなくて、それに対処しなければならないからだ。そうしないと、国家どころか、現状の地球生命が終わるからだ。それには膨大な費用がかかる。しかもかなしいことに、その対処方法はいまのところだれもしらない。

 以上のことはつぎの想像をしてみればすぐにわかる。今後、原発が始まって以来の大事故のペース、つまり25年おきぐらいに、アメリカ合衆国、中国、インド、ヨーロッパで原発大事故が起こった時のことを。100年のうちに、世界はもういまある国家体制を維持することなど全く不可能になるでしょう。

 もとにもどって、日本のいまの政治、経済、社会状況をみてみると、じつはもう壊れてしまった明治以来の国家体制を立て直すために、一方では福島原発事故や日本の国家体制の事実を隠し、他方ではなりふりかまわず権力自体をたてなおそうとしているのが、白日のもとにさらされている。日本の国家権力をなんとか維持するための一連のアメリカとの軍事同盟の強化、秘密保護法、福島原発事故の徹底した隠蔽、食べて応援、福島への人々の帰還、原発再稼働の強行、川内原発維持のための熊本・大分大震災の矮小化、伊方原発維持のための中央構造線の地震の隠蔽、研究・学問統制、言論統制、言論自己規制、実質隣組のネットという密告・相互監視体制、経済体制維持のための国民総動員、などなど。

 安倍政権によって日本国憲法がないがしろにされ、法体系がこわされ、言論統制がすすめられているのは、安倍政権によるファシズムだといままでおもっていました。安倍政権がナチスと同じように、法律を巧妙にかえていくことによって権力を掌握しつつあるのだと。けれども、いまはそうではないとかんがえなおしています。それは、日本国の国家体制が実際に壊れてしまったので、すべてにおいてめちゃくちゃが可能になったということです。ちょうど、ソ連崩壊のときのエリツィン時代のようです。だから、これからさらにめちゃくちゃになるおそれがおおきいです。

 わたしたちには権力などいらない。だから原発や核兵器などはいらない。けれども、国家権力者たちには権力が必要なので、絶対に原子力、原発が必要です。しかし、もうすでに日本国の国家体制は壊れてしまったので、この権力の再興は無理でしょう。いまは、あらたな全くちがった権力、たとえはグローバリズム、が私たちを支配するか、わたしたちが、権力を拒否してあたらしい世界をつくるかの瀬戸際にあるとおもいます。

 これからは、戦後の平和国家としての日本国という厚化粧をした大日本帝國の体制がもう壊れてしまったということをはっきりと自覚して、自由にわたしたちのくらしを平和で豊かなものにする方法をさがしていかなければ、とおもうのです。福島原発事故は決しておわることなく、これからそのどうしようもない放射能汚染のおそろしい現実がますますあらわになってくるとおもいます。

 わたしたちには日々のくらしがある。その日々のくらしを平和で愛に満たし、つづけていくことが、わたしたちの唯一の希望だとおもうのです。